京都&海外まち歩き〜通訳案内士カルラの日記〜

京都のおすすめ、国内外の旅で見たこと感じたことをお伝えします。

大仏殿

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華厳経の教えが描かれています。

音符のように見えていたのは中世界と言って、25本の線があり、その間に菩薩の頭部と宮殿、4頭の動物の頭部が描かれています。

 

一番下には私たちが住む世界と、そんな世界が千集まっていて、それぞれに釈迦がいるよという絵。

 

一番上には大仏さんと22の菩薩がいて、下の世界をまとめているよという絵。

 

仏教の目的は「生きとし生けるすべての物を漏らすことなく救済しよう」なので、東大寺を作った聖武天皇も「人間だけでなく動物も植物も栄える世界を作ろう」そのための大仏を作ろうとしたんですね。

 

世界はたくさんあって、その一つ一つに盧舎那仏は存在しているー。宇宙は果てしない。だけど、盧舎那仏はみんなをまとめて光を照らしているよ、という慈悲深さや仏の懐の大きさを示しているのでしょう。

 

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行列もなく、とっても空いていたので数年ぶりに柱のくぐり抜けに挑戦。

大人も通れるよ!無病息災のご利益あり(^ ^)

 

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如意=何でも叶えてくれるよ。

大仏は宇宙の中心(真ん中)にいて、北に弥勒菩薩、東に薬師如来、南に観音菩薩、西に阿弥陀如来が配置されているのだそう。おお、だから極楽浄土にはよく阿弥陀如来がお迎えにやって来て、西方に舟が出るのか!なーんて納得した。

 

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710年 平城遷都。

724年 聖武天皇即位。

743年 東大寺を作ろう! 

全ての民を救うことを目的に建てる。お金と権力がある天皇が大仏を作ろうと思えば一人でできるが、それでは仏の意味するところは民には伝わらないので、一握りの土、草の協力を民に求める。結果、当時の人口の半分にあたる260万人が東大寺建設に関わった。8回の大仏鋳造を経て完成。

 

聖武天皇は「真心を持ち、大きな幸せが来るように願いなさい」と言った。

 

752年 インドや中国からの僧を始め、1万人を呼んでお祝いした。伎楽という面をつけた劇を演じたり、刀や宝石が贈られて、大仏に埋められた。

 

9世紀に仏の頭が地震で落ちるというアクシデントあり。

 

その後2回焼ける。1回目は1180年の源平の戦いによる南都焼き払い。

仏の教えにあつい重源上人を中心に、鎌倉幕府の朝廷や武士も協力して仏と大仏殿を立て直した。

 

2回目は1567年。室町時代、戦火で失われる。戦国時代だったのですぐに建て直すことができず、100年以上大仏は雨風にさらされた。

 

江戸時代、東大寺に勤め始めた13歳の公慶上人は、その大仏の姿に心を痛め、再建しようと誓った。お金を集めて修理にあたり、十分な木材がなかったため横幅を短くしたものの、再建できた。